桐壺
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巻名・期間・あらすじ
系図

いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御かたがた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下らうの更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積りにやありけむ、いとあつしくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起りにこそ、世も乱れ、あしかりけれど、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてやなみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いよはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。

源氏物語の敬語
いづれの御時にか 光源氏の母である桐壺更衣のときめいていることをまず書き始めている。
この最初の詞は伊勢の私家集に「いづれの御時にか有りけんおほみやす所と聞ゆる御局に、大和に親ある人さふらひけり」とあるのに基づいている。
桐壺の帝は延喜天皇に比しているが、源氏物語そのものが作り物語であるため、その時代がいつであるとはっきり言うのではなく、このように書き出していることは伊勢の私家集の詞ばかりを用いて、考えを変えている。
伊勢は身のいやしきをかかず、紫式部は時代をかかずである。そのため、同じ詞を用いていても、その思うところは違うのである。
『河海抄』によると、延喜の御時といはんとておぼめきたる也。河原院を何がしの院と云ひ、くらまを北山のなにがし寺など云ふに同じと云々。御の字をおほんと読むべし。と書いている。
『玉小櫛』には此物語はすべて作り物語にて、今の世にいはゆる昔話也。さる故に、むかしいづれの御時にかありけん、かかる事の有しといへるにて、此詞一部にわたれり。伊勢集なるも、みづからのうへなるを、おぼめきて、昔物語のこといひなせるにて、意は同じ。とある。
女御 后につげる女官。
更衣 女御よりは次の人。
あまたさぶらひ 延喜の時代には女御五人、更衣十九人、中宮以下すべて二十七人とある。
物語の本文で確認をしてみると、女御は承香殿(四の宮の母)麗景殿(花散里の姉)と八の宮の母の三人。更衣は桐壺と後涼殿、后は弘徽殿と藤壺の合計七人である。
はじめよりわれは 女御更衣の中に三品の区別がある。
我はと思いあがっているのは大臣などの娘の女御である人
おはじほどとは桐壺更衣とおなじほどである大納言のむすめなど
それより下は、非参議三四位の品の女などを言っているのだろう。
うらみをおふ 引歌「あしかれと思はぬ山のみねにだにおふなる物を人のなげきは」
あいなく 『玉小櫛』には此詞数もなく多く有りそをことごとく見わたし合わせてかむがふるに、何といふわきまへもなしに、うちつけに物することなり。ここもその意にて、おのが身にかからぬ人までも、何といふことなしに、目をそばむるなりとある。
目をそばめ 『長恨歌伝』に京師長吏為是側目。(京師の長吏り是が為に目を側む)とある。
かかること 好色を愛することであるが、殷の紂が姐妃を愛したりと、中国の古くから伝わる色恋沙汰を取り上げている。
楊貴妃のためし 「かかること」から、派生して出てきた具体例。
玄宗皇帝の寵愛ゆえに、安禄山の叛乱がおきた。
はしたなきことおほかれ 『細流抄』此更衣によそよりの人の心むけ也
『玉小櫛』ここは更衣の身に受けるかたよりいへり。
まじらひたまふ 「帝との宮中生活」ではなくて「女御たちとの宮中生活」

父の大納言亡くなりて、母北の方なむ、いにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御かたがたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたなひけれど、とりたてて、はかばがしき後見しなければ、ことある時は、なほより所なく心細げなり。

母子家庭

北の方 公卿、殿上人などの妻の敬称
寝殿造で北の対に住んだことから
はなやかなる 河海抄に、馨花〔白氏文集〕とあり。すべてこの物語のうち、詞の注にかやうにからぶみ、又は日本紀などの文字を引れたりことおほし。それが中に、まれにはあたれるも有て、一つの心得にはなるべきもあれども、おほくはあたりがたくして、みだりなることもおほし。されば、ひたぶるに注のもじにすがる時は、詞の意を誤ること也。
大かたいづれもいづれも、注の文字にはよるべからず。ここの馨花も、白氏文集にては、はなやかとよみて、かなふべけれども、然りとて、はなやかを、馨花の意とのみ心得ては、いたく違ふべし。されば馨花をはなやかとは読むべけれども、はなやかを馨花とは心得べきにあらず。おほかたいづれの詞の注も、此わきまへ有べきなり。
いたう劣らず 「湖月抄本」「大系本」には「いたう」がない。「いたう」がないと、「世のおぼえ花やかなるい御方々にも」負けず劣らず。となり、「いたう」があると、「世のおぼえ花やかなる御方々にも」たいして劣らず。となる。
「いたう」がある方が、実情にそうし、あわれさも出てよい。とする説があるが、大した差はないと思われる。
後見 「湖月抄本」には「御後見」とある。「御」のない方が、前々行の「御方々」との差がでるのでよいうという説がある。
ことある時 「明融本」→事ある時・・・特別の事があるときには
「諸本」→ことある時・・・これという場合は

さきの世にも、御契りや深かりけむ、世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなるちごの御容貌なり。一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲けの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。

さきの世にも 桐壺更衣と帝の御中、前世よりも淺からざりしにや、御子さへ出来給へりと也。
『河海抄』君とわれいかなる事をちぎりけん、むかしの世こそしらまほしけれ
玉の男御子 『花鳥余情』人の徳をも玉にたとへ、又形をも玉にたとふるなり。玉のをのこみこは、かたちのきよらなるをたとへていへり。且又詞のつづき、玉のをと命のかたへ取成侍る也。
『玉小櫛』万葉五の巻に、生れ出たる白玉のわが子古日は云々。うつぼの物語、ただそこの巻に、玉ひかりかがやきたる男の、いとをかしげなるをうみ給へり、白居易詩に、掌珠一顆兒三歳。花鳥に、玉のをと、命のかたへとりなし侍る也、とあるはひがごと也。
急ぎ参らせて 当時の風習で、お産はけがれとされ、宮中は神を祭る清浄な場所なので、実家にさがってお産をした。
右大臣 右大臣は太政官の要職で、左大臣に次ぎ、これをたすける役職。
弘徽殿女御の父。
寄せ重く 続日本紀八の巻にある。
儲けの君 東宮にたち給ふべきと、もてなしかしづきたると也。

はじめよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづまうのぼらせたまふ。ある時には大殿籠りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽きかたにも見えしを、この御子生まれたまひてのちは、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この御子たちなどもおはしませば、この御方の御いさめをのみぞ、なほわづらはしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。
かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身は、か弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。御局は桐壺なり。あまたの御かたがたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前わたりに、人の御心をつくしたまふも、げにことわりと見えたり。まうのぼりたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、えさらぬ馬道の戸をさしこめ、こなたかなた、心をあはせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を、ほかに移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむかたなし。

帝の変化
弘徽殿女御の不安
帝が主語

上宮仕へ 『花鳥余情』禮記ニ宮ミヤツカヘ。すけ内侍などのごとく朝夕に御前にしこうするを上宮仕へといへり。
『細流抄』女御更衣は別殿に祗候して、時々こそさぶらふべきを、此人は典侍などのやうに、御前さらずめしまとはせば、かへりおてかろがろしきなり。寵愛甚しき餘也。
おとしめ疵を求めたまふ 『漢書列伝』有司毛を吹き疵を求む
直き木に曲れる枝もあるものを毛をふき疵を言うがわりなき(後撰16、高津内親王)
『源氏物語評釈』疵はあやまち也。
桐壺 『細流抄』桐壺は御殿よりはことのほかほど遠き也。花鳥に見へたり。
『花鳥余情』弘徽殿、麗景殿、宣耀殿などをすぎてゆく馬道つづきなれば、あまたの御かたがたをすぎさせ給ふとはいへり。
桐壺は淑景舎の和風の呼び名であり、帝の御殿である清涼殿から一番遠い東北の隅にある。壺(中庭)に桐が植えてある。
打橋 建物と建物との間に臨時に掛け、渡す板の橋。
『玉子櫛』移橋(うつしはし)をつづめたる名也。よのつねの橋は、いつも同じ所にかかりてところをかふる事はなきを、これは時にのぞみて、いづこへもいづこへも、用ある所へもて行て渡すかりそめの橋にて、ここかしこへうつす橋といふ意也。ここは渡殿などの間に、横に下を通はんために、切れたる所のあるに、時にのぞみてわたせる也。内橋、打橋など注せるはかなはず。萬葉などに、打橋と書けるは、例の借字なるをや。
渡殿 建物から建物に渡る屋根つきの廊下。
『花鳥余情』村上天皇の御時、宣耀殿の女御(芳子小一条の左大臣師尹女)藤壺にさぶらはせ給ひて、中宮(安子九条右大臣師輔女)弘徽殿の上の御局におはしましけるが、つねに不快の事どもありけるよし世繼にあり。彼例をいふ歟。
あやしきわざをしつつ けがらはしき物をまきちらして、更衣をおくりむかへの女房のきぬすそをyごせしなるべし。花鳥に委し。
『玉小櫛』不浄をまきちらすは、人を詛ふじわざなり。釈日本紀に見えて、神代須佐之男命の故事よりおこれり。但し、ここは詛までにはあらで、ただ衣のすそを穢さんためのみにてもあるべし。
後涼殿 『花鳥余情』御殿の西にあたれる殿なれば、常の御所にちかき也。俊成卿云、「こうらうでん」とよむべし。

その年の夏、御息所、はかなきここちにわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々におもりたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかるをりにも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をばとどめたてまつりて、忍びてぞいでたまふ。限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、いふかたなく思ほさる。いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言にいでても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来しかた行く末おぼしめされず、よろづのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かのけしきにて臥したれば、いかさまにとおぼしめしまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて
                     「限りとて別るる道の悲しきに
                                いかまほしきは命なりけり
いとかく思うたまへましかば」と、息も絶えつつ、聞こえ間ほしげなることはありげなけれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じ果てむとおぼしめすに、「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたまふ。御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜中うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。きこしめす御心まどひ、何ごともおぼしめし分かれず、籠りおはします。

御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむともおぼしたらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれにいふかひなし。
限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車にしたひ乗りたまひて、愛宕といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたるここち、いかばかりかはありけむ。「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車より落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々もてわづらひきこゆ。内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来て、その宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだにいはせずなりぬるが、あかずくちをしうおぼさるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても、憎みたなふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞおぼしいづる。さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人がらのあはれに情けありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかるをりにやと見えたり。
はかなく日ごろ過ぎて、後の輪穴どにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむかたなう悲しうおぼさるるに、御かたがたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸明くまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほしいでつつ、親しき女房、御乳母などをつかはしつつ、ありさまをきこしめす。
野分だちて、にはかに膚寒き夕暮のほど、常よりもおぼしいづること多くて、靫負の命婦というふをつかはす。夕月夜のをかしきほどにいだし立てさせたまひて、やがてながめおはします。かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなるものの音をかき鳴らし、はかなく聞こえいづる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、おもかげにつと添ひておぼさるるにも、闇のうつつにはなほ劣りけり。
命婦、かしこにまで着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめずみなれど、人ひとりの御かしづきに、とかくつくろひたてて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇にくれてふし沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいちど荒れたるここちして、月影ばかりぞ、八重葎にもさはらずさし入りたる。南面におろして、母君も、とみにえものものたまはず。「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の、蓬生の露分け入りたまふにつけても、いとはづかしうなむ」とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。「『参りてはいとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬここちにも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、さむべきかたなく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けきなかに過ぐしたまふも、心苦しうおぼさるるを、疾く参りたまへ』など、はかばがしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、おぼしつつまぬにしもあらぬ御けしきの心苦しさに、うけたまはり果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」とて、御文たてまつる。「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。
  ほど経ばすこしうちまぎるることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人を  いかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを、今はなほ昔のかたみになずらへてものしたまへ。
など、こまやかに書かせたまへり。
                     宮城野の露吹きむすぶ風の音に
                                  小萩がもとを思ひこそやれ
とあれど、え見たまひ果てず。「命長さの、いとつらう思うたまへ知らるるに、松の思はむことだに、はづかしう思うたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、自らはえなむ思うたまへ立つまじき。若宮は、いかみ思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思うたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、いまいましう、かたじけなくなむ」とのたまふ。
宮は大殿籠りにけり。「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに、夜ふけはべりぬべし」とて急ぐ。「くれまどふ心の闇も堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、わたくしにも、心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしくおもだたしきついでにて、立ち寄りたまひしものを、かかる御消息みて見たてまつる、かへすがへすつれなき命にもはべるかな。生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、『ただ、この人の宮仕への本意、かならずとげさせたてまつれ。われ亡くなりぬとて、くちをしう思ひくづほるな』と、かへすがへすいさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなきまじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、いだし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、まじらひたまふめりつるを、人の嫉み深くつもり、やすからぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思うたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜もふけぬ。「上もしかなむ。『わが御心ながら、あながちに人目おどろくばかりおぼされしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになむ。世にいささかも、人の心をまげたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、かううち捨てられ、心をさめむかたなきに、いとど人わろうかたくなになり果つるも、前の世ゆかしうなむ』と、うちかへしつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、「夜いたうふけぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。月は入りかたの空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。
                       鈴虫の声の限りを尽くしても
                                 長き夜あかずふる涙かな
えも乗りやらず。
                      「いとどしく虫の音しげき浅茅生に
                                   露おき添ふる雲の上人
かことも聞こえつべくなむ」と言はせたまふ。をかしき御贈り物などあるべきをりにもあらねば、ただかの御かたみにとて、かかる用もやと残したまへりける御装束一領、御髪上の調度めく物添へたまふ。若き人々、悲しきことはさらにもいはず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、上の御ありさまなど思ひいできこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、かくいまいましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また、見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。
命婦は、まだ大殿籠らせたまはざりけると、あはれに見たてまつる。御前の壷前栽の、いとおもしろきさかりなるを、御覧ずるやうにて、忍びやかに、心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このころ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の書かせたまひて、伊勢、貫之によませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋ををぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
  いともかしこきは置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱りごこちになむ。
                     荒き風ふせぎしかげの枯れしより
                               子萩がうえぞ静心なき
などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと、御覧じ許すべし。いとかうしも見えじと、おぼししづむれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じはじめし年月のことさへかき集め、よろづにおぼしつづけられて、時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけりと、あさましうおぼしめさる。「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ。いふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれにおぼしやる。「かくても、おのづから若宮など生ひいでたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」などのたまはず。かの贈り物御覧ぜさす。亡き人の住処尋ねいでたりけむ、しるしの釵ならましかば、と思ほすも、いとかひなし。
                     尋ねゆく幻もがなつてにても
                                魂のありかをそこと知るべく
絵にかける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ、いとにほひ少なし。太液の芙蓉、未央の柳も、げに通ひたりし容貌を、唐姪たるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼしいづるに、花鳥の色にも音にもよそふべきかたぞなき。朝夕の言種に、翼をならべ、枝をかはさむと契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、つきせずうらめしき。風の音、虫の音につけて、もののみ悲しうおぼさるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にもまうのぼりたまはず、月のおもしろきに、夜ふくるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしときこしめす。このころの御けしきを見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらずおぼし消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
                      雲のうへも涙にくるる秋の月
                                 いかでかすむらむ浅茅生の宿
おぼしめしやりつつ、燈火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目をおぼして、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、明くるも知らで、とおぼしいづるにも、なほ朝政はおこたらせたまひぬべかめり。ものなどもきこしめさず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かにおぼしめしたれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御けしきを見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふ限りは、男女、いとわりなきわざかなと言ひあはせつつ嘆く。さるべき契りこそはおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、人の朝廷の例まで引きいで、ささめき嘆けり。
月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず、きよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしうおぼしたり。明くる年の春、坊さだまりたまふにも、いと引き越さまほしうおぼせど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危くおのし憚りて、色にもいださせたまはずなりぬるを、さばかりおぼしたれど、限りこそありけれど、世人も聞こえ、女御も御心おちゐたまひぬ。かの御祖母北の方、慰むかたなくおぼし沈みておはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひしぬれば、またこれを悲しびおぼすこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびはおぼし知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまへるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。
今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らずさとうかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。「今は誰も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」とて、弘徽殿などにいも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内にいれてたてまつりたまふ。いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女御子なち二所、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御かたがたにも隠れたまはず。今より生めかしうはづかしげにおはすれば、いとをかしううち解けぬ遊び種に、誰も誰も思ひきこえたまへり。わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことことしう、うたてなぞなりぬべき人の御さまなりける。
そのころ、高麗人の参れるなかに、かしこき相人ありけるをきこしめして、宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡あれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館につかはしたり。御後見だちてつかうまつる右内弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人おどろきて、あまたたび傾きあやしふ。「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天下を輔くるかたにて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。弁もいと才かしこき博士にて、言ひかはしたることどもなむ、いと興ありける。文など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへを、おもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。朝廷よりも多くも物賜はす。おのづからことひろごりて、漏らさせたまはねど、春宮の祖父大臣など、いかなることにかとおぼし疑ひてなむありける。帝、かしこき御心に、倭相をおほせて、おぼしよりにける筋なれば、今までこの君を、親王にもなさせたまはざりけるを、相人はまことにかしこかりけり、とおぼして、無品の親王の下戚の寄せなきにてはただよはさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめることとおぼし定めて、いよいよ道々の才をならはさせたまふ。きはことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひならば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に、勘へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしてたてまつるべくおぼしおきてたり。
年月に添へて、御息所の御ことをおぼし忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひにおぼさるるだにいとかたき世かなと、うとましうのみよろづにおぼしなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「亡せたまひしに御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕への伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひいでさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になむ」と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。母后、あな恐ろしや、春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしうと、おぼしつつみて、すがすがしうもおぼし立たりざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。心細きさまにておはしますに、「ただわが女御子たちの同じ列に思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人々、御後見たち、御兄の兵部卿の親王など、かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべくなどおぼしなりて、参らせたてまつりたまへり。藤壺と聞こゆ。げに御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御きはまさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。おぼしまぎるとはなけれど、おのづから御心うつろひて、こよなうおぼし慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、われ人に劣らむとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、いとよう似たまへると、典侍の聞こえけるを、若き御ここちにいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。上も限りなき御思ひどちにて、「な疎みたまひそ。怪しくよそへきこえつべきここちなむする。なめしとおぼさで、らくたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」など聞こえつけたまへれば、をさなごこちにも、はかなき花紅葉lにつけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うちそへて、もとよりの憎さも立ちいでて、ものしとおぼしたり。世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむかたなく、うつくしげなるを、世の人光君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
この君の御童姿、いと変へま憂くおぼせど、十二にて御元服したまふ。居起りおぼしいとなみて、限りある事に事を添へさせたまふ。一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御ひびきにおとさせたまはず、所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、おほやけごとにつかうまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、きよらを尽くしてつかうまつれり。おはします殿の東の廂、東向きに倚子立てて、冠者の御座、引入の大臣の御座御前にあり。申の時にて源氏参りたまふ。みづら結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿、蔵人つかうまつる。いときよらなる御髪をそぐほど、心苦しげなるを、上は、御息所の見ましかばと、おぼしいづるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。かうぶりしたまひて、御休み所みまかでたまひて、御衣たてまつりかへて、おりて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙おとしたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、おぼしまぎるるをりもありつる昔のこと、とりかへし悲しくおぼさる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしくおぼされつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。
引入の大臣皇女腹に、ただひとりかしづきたまふ御女、春宮よりも御けしきあるを、おぼしわづらふことありける、この君にたてまつらむの御心なりけり。内裏にも、御けしき賜はらせたまへりければ、「さらばこのをりの後見なかめるを、副臥にも」ともよほさせたまひければ、さおぼしたり。さぶらひにまかでたまひて、人々大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に、源氏着きたまへり。大臣けしきばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄のもの、うへの命婦とりて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。御さかづきのついでに、
                      いときなきはつもとゆひに長き世を
                                      契る心は結びこめつや
御心ばへありておどろかさせたまふ。
                      結びつる心も深きものゆひに
                                      濃きむらさきの色しあせずは
と奏して、長橋よりおりて舞踏したまふ。左馬寮の御馬、蔵人所の鷹すゑて賜はりたまふ。御階のもとに、親王たち上達部つらねて、禄どもしなじなに賜はりたまふ。その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむ、受けたまはりてつかうまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服のをりにも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。その夜、大臣の御里に、源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君はすこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなくはづかしとおぼいたり。
この大臣の御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏のひとつ后腹になむおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世の中を知りたまふべき、右の大臣の御勢は、ものにもあらず圧されたまへり。御子どもあまた、腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人の少将にて、いと、若うをかしきを、右の大臣の、御中はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。
源氏の君は、上の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。大人になりたまひてのちは、ありしやうに御簾のうちにも入れたまはず。御遊びのをりをり、琴笛の音に聞こえかよひ、ほのかなる御声をなぐさめにて、内裏住みのみこのましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、大殿に二三日など絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なくおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。御かたがたの人々、世の中におしなべたらぬを、選りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほなおぼしいたつく。内裏にはもとの淑景舎を御曹司にて、母御息所の御かたの人々、まかで散らずさぶらはせたまふ。里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨くだりて、二なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。かかる所に、思うやうならむ人をすゑて住まばやとのみ、嘆かしうおぼしわたる。光君といふ名は、高麗人のめできこえて、つけたてまつりけるとぞ、言い伝えたるとなむ。